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いのちを尊ぶ心ー困難な時代を生きぬく

2016 09 11
昨日は、ノンフィクション作家の柳田邦男さんをお迎えしての講演会
だった。
放射能NOネットワーク取手というグループを立ち上げて5年。継続は
力なりの言葉通り、みんなで力を出し合ってなんとか活動を続けてきた。
柳田さんは知り合いでもある関係上、気軽に引き受けてくださって「い
のち」をテーマに、ご自身の体験をふまえながら予定を30分ものばして
講演。心にひびく深い内容に参加してくれた人たちは感動してくれたよう
だ。
胸をうつ話は、抽象論ではできない。具体的な事例をあげて、人との繋が
りを語るから、聴く方も感情移入できる。前向きに生きようと思える。
この困難な時代を生きぬくために、柳田さんの話を聴くといい。
信頼できる仲間とともに、これからも活動していこう。そんな勇気ももら
えた集まりだった。

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3月11日

2016 03 11
3月11日は、その日どこにいようとも14時46分に黙祷している。
今日は、陶板浴で太極拳を教えていたが、参加者と一緒に黙祷を
した。
5年前の今頃の時間、長野県の八ヶ岳にあるペンションにいた。
家にも連絡がとれず、ただただテレビを観るしかなかった。
12日、ようやく高速バスに乗れて、なんとか東京まで。それから
家に着くまでが長かった。帰宅難民の一人だった。
さらに5日たって、こんどは放射能から避難するために、家族で
長野県のペンションに逆戻りした。
友人家族や都内にいる長女夫婦も一緒に10日間を山で過ごした。
この間、放射能雲(プルーム)は関東まで流れてきて、各地を汚染
しまくった。
5年経ったいま、当時生まれた放射能NOの市民グループは激減した。
でも、私が代表をしているグループは頑張っている。仲間を大切に
しながら、支えあっている。

まもなく3・11

2016 03 07
今月に入ってから、東日本大震災に関する放送が多くなった。
未公開の映像もあるが、自分の記憶が5年経っても薄れていない
ことに気づかされる。
5日のNHKズペシャル「原発避難7日間の記録」のなかで、若い
保険士さんが登場した。彼女はヨウ素材を持っていたが、町の指
揮系統がずたずたになる状況で、結局は人びとに配布しなかった
という。個人の判断が許されなかったからだ。妊婦にも懇願され
たができなかった。
いま、彼女は PTSDをかかえている。
いざというとき、国や各自治体はどうするのか、人を救うために
どうするのか、どうすべきなのかを問いかけている。
三春町は町が判断して95パーセントの町民にヨウ素材を配った。
このことは震災後一年たった頃に、やはりNHKスペシャルで放送
した。
昨夜は「被曝の森」関連番組はこれからも続くという。番組スタ
ッフの努力を応援したい。

秋の気配

2015 08 12

8月11日は3,11の月命日。鹿児島県川内原発が再稼働した。
7月下旬に川内に行った。友人の友人宅に2泊。その家は川内川の河口に
あり、川向こうに原発がある。原発などなければ、昔ながらの静かな集落
でさぞかしいいところにちがいない。
真夏の川内の街も一見、原発などどこにあるといったたたずまいのなかに
あったが、福島原発の影響下で暮らす私には不安な二日間だった。
昨日、買い物の帰りにふと空を見上げたら、一面の鰯雲が…。
まだ透き通った雲ではないが、空の上はもう秋。
今日はお盆の準備をしよう。


「原発にいちばん近い駅」をみた

2014 09 06
常磐線
昨夜、 NHKで放送した番組をみた人は「常磐線ってどこ走ってるの」と思った
かもしれない。知り合いの西日本の人たちには、なじみのない名前のようだ。
その常磐線は福島に入ると、福島原発のそばを通っている。「原発に一番近い駅」
は、ようやく開通した竜田駅72時間のドキュメント。原発に勤務する人たち、
楢葉町に住んでいた人たち、青春18切符で町の様子をみにきた人などを取材した
ものだった。
竜田駅から北はまだ通れない危険地域。
写真は6月に南相馬市小高町に行ったとき、草が生えた荒れた線路を写したものだ。

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